6. 第2回公判(検察側証人尋問)

かずまさ氏とMikaさんの傍聴メモ
第2回公判は2002年7月25日午後1時30分より,東京地方裁判所第528号法廷にて,中谷雄二郎裁判長。
日本医科大の有馬 保正医師、吉田 寛医師が証人として出廷。
1.証人 有馬保生(日本医大・講師) 日医大での1回目の手術の執刀医
(1) 転院時の被害者の状態と所見について

ERCP検査により、総胆管の途絶が見られた。CT検査により、佐藤病院で術後に挿入したドレナーゼが、通常より高い位置にあり、腹部胆汁を取りきれていない懸念があった。38.5〜39.0℃の熱があり、胆汁性腹膜炎の疑いがあった。

(2) 日医大での1回目の手術内容について

2001年12月29日10:05から、有馬、田尻、吉田、二見、麻酔担当医カワヒガシにより手術を開始した。右腹部の傷を再度電気メスで切開したところ、腹腔内が胆汁にまみれていた。胆汁による炎症により腸管の弾力は失われ、癒着を起していた。手ではがせる部分は、手ではがし、癒着の強い部分はハサミなどではがした。

温生食(あたたかい生理食塩水)5000mlで、腹腔内を洗浄した。

洗浄時に、後腹膜に血腫があり、中央に1針縫った跡があった。佐藤病院での手術時に、なにか傷つけたのだろうと思った。後日、内視鏡手術を行う際に、トロッカー(穿刺器具)で傷つけたと被告人佐藤と思われる人物から聞いた(初対面だったので、はっきり断定できるほど覚えていない)。

総胆管が切断され、しばられており、切断部は黄色い糸で縫われていた。切断された上の総胆管、胆嚢管、胆嚢は見つからず、総肝管、(左右の)肝管も切除されていた。肝門部に左右2つの穴があり、ここで肝管が切除されているようだった。

総胆管と考えられる管を縛っていた糸を取り、チューブを入れて造影剤を注入し、造影剤が十二指腸に流入した事を確認し、これが総胆管であると確認した。また、肝門部の2つの穴にも同様に造影剤を注入し、これが左右の肝管である事を確認した。

肝門部から胆汁が漏れ出すのを止める為に、腹腔内のバイパス手術をした。具体的には、空腸(小腸)の一部を肝臓まで持ち上げ、一部を切断して、肝門部に縫合した(肝管空腸吻合術)。腸の弾力が失われ、圧力に耐えられない懸念があった為、縫合部分にRTBDチューブ(総胆管減圧チューブ)を2本入れ、左右の腹部から外に圧を逃がすよう対処した。

腸にメッケルの憩室が見つかり、腸閉塞の原因となる懸念があった為、これを切除した。

以上の手術を行い、15:35頃手術を終了した。

手術自体は、成功したと考える。

(3) 術後の経過について

研究医の立場から、術後直接被害者の治療にはあたっていないが、担当医師(吉田 寛)らの、治療方針などの相談に乗る形で、バックアップしていた。

1/2 頃から腎機能障害、肺機能障害が起きた。
1/4 にCCUに移し、持続血液透析濾過(CHDF)、血液濾過、人工透析等を行った。 
1/9 MRSAが検出される。腸閉塞の疑いでCTを撮ったところ、右腎に血栓が見つかる。

(4) 日医大での2回目の手術内容について

循環動態が不安定となり(心不全、肺高血圧等?)、腸管の拡張がみられ、腸閉塞の疑いがあった為、これを改善すべく2回目の手術を行った。

1/24 9:15 術前に腸管にイレウス管(腸管の内容を吸引するために鼻から挿入する,長さ2m以上ある管)を入れたが、拡張している部位のとなりまでしか入らず、開腹して、手でこれらを通した。

腹部の症状は改善されてきていたが、感染症は悪化していた。閉塞は感染症によるむくみで圧迫されて起きており、拡張部分が原因ではなかった為、拡張部分の処置は行わなかった。

下大静脈に血栓が認められたた為、フィルターを挿入し、血栓が他の部位に影響しない様処置した。

栄養チューブを通し、腸に直接栄養剤を注入できるようにした。

13:20手術終了

手術自体は、目的を果たし、成功した。

(5) 被告の主張する死因その他についての見解

「腹部の状態は改善されているので、感染症によって死亡したのでは?」 ・・・胆汁性腹膜炎により、免疫機能が低下していた為である。

「腹腔内の洗浄が足りなかったのではないか?」 ・・・洗浄は十分に行ったが、既に各臓器へのダメージが大きく、病状の進行を食い止めるに至らなかった。

「板状硬(腹部が板の様に硬くなる)が見られなかったので、胆汁性腹膜炎では無いと考えた。」 ・・・全ての胆汁性腹膜炎の患者が、板状硬を起す訳ではない。胆汁が漏れると腹腔内で癒着が起こり、痛みが激しく、鎮痛剤を投与する事で、腹部症状が軽減されたように見える事は予測できる。

「腹鳴が有り、ガスが出ているので、腹膜炎では無いと考えた。」 ・・・完全に腹部の機能が失われていなければ、腹鳴もあり、ガスも出る。

「ドレインで胆汁が出ているので、体内に溜まってはいないと考えた。」 ・・・1cmずれただけでも、有効に取れない場合もあり、出ているから全て引き切れていると考えるのは、早計である。実際、日医大に転院時に確認したところドレナーゼの先端はウインスロー孔(あお向け状態で一番低くなるくぼみ)から離れた所にあり、正常に引けていないと考えられた。ドレナーゼは、漏れ出したものを排出するだけでなく、何がどれくらい漏れているかを観察する為のものでもある。胆嚢炎の手術後に胆汁が漏れ出す事は正常時にはありえない。この様な場合には、重篤な状態が懸念されるので、直ちに漏れ出した個所とその状態を確認し、再手術等の処置が取られなければならない。

「エコーでは胆汁が溜まっているのは確認できなかった。」 ・・・エコーは、おなかの状態が悪いと見え難くなる。腹腔内に癒着があったり、手術時に入った空気などにより、見え難くなるので、エコーで見えるような大きな溜まりが無いからと言って、漏れていないと考えるのは早計である。

「ERCPは下大静脈を傷つけているので、これに悪影響があるので避けた。」 ・・・ERCPが大静脈の傷に影響を与える事は考え難い。

「日医大での1回目の手術が可能だったと言う事は、その時点では病状は軽度であった。」 ・・・転院時には、既に重篤な状態であった。

「入院当日に手術をしていれば、助かったのではないか?」 ・・・腹腔内の状態は、1日や2日で急激に悪くなったものではなく、必要な検査や準備をして速やかに手術を行っている為、必要な時間であった。

「MRSAは、日医大に転院後に感染したもので、これが直接の死因になった。」 ・・・何処で感染したかを特定する事は難しいが、たとえ日医大で感染したとしても、転院時の状態が悪くては助ける事は困難である。

有馬氏への尋問はここまで。 15:00〜15:10まで休廷。

2.証人 吉田 寛(日本医大・ 医師) 日医大での担当医師(手術にも参加している)
(1) 転院時の被害者の状態と所見について

転院時より、かなり重篤な状態であった。腹部を押して離すと、離した時の痛みが強く、腹膜刺激症状の所見があり、ドレナーゼから胆汁が出ている事から、胆汁性腹膜炎の疑いが持たれた。全身状態が悪い事から、当日緊急で、各種検査を行った。

(CT、ERCPの検査結果の所見に付いては、概ね有馬医師と同様)

血液生化学検査では、肝不全の疑いがあり、白血球数の増加が認められた。これらから、緊急で胆汁の漏れの処置と、腹腔内の洗浄を行う手術が必要と判断した。

(2) 日医大での1回目の手術内容について

(手術内容については、概ね有馬医師と同様、異なる所見のみ記載します。)

開腹してみると、おなか中に胆汁が広がっており、特に左下腹部の癒着が激しく、腸のむくみがひどい事から、高度の感染症にかかっている事が判った。その状態からは、数日中に亡くなる可能性があると考えた。

バイパス手術の際にも、空腸(小腸)の弾力が失われており、無理に伸ばすと切れてしまう恐れがあった為、通常大腸の前から肝臓に持ち上げるのを、大腸を固定する膜に穴をあけて、大腸の後ろを通して近い距離で肝臓に届かせた。手術自体は、大変良く出来たと考えている。

(3) 術後の経過について

手術時に確認した感染症について、佐藤病院でも抗生物質を投与していたのに症状が進行し、発熱、下痢などが続いていた事から、術後すぐにMRSAを疑い、特効薬であるバンコマイシンの投与を開始する。年末であった為、血液検査をすぐに行えず、見切りでの投与となったが、年明け1/5に検査した結果が1/9に出て、MRSAが検出された。

(4) 日医大での2回目の手術内容について

(手術内容については、概ね有馬医師と同様、異なる所見のみ記載します。)

開腹時、臓器の癒着がひどく、特に佐藤病院にてトロッカーで傷つけた周辺に特に強い癒着があった。

この事から、下大静脈だけでなく、下大静脈に至るまでの通過点に存在した他の臓器をも傷つけていた事が考えられる。また、この時に、MRSAに感染し、その周囲に巣食っている為に、バンコマイシンを投与し続けても、一向に菌が死滅しない状態に陥っている可能性が考えられた。

手術自体は、目的を果たし、成功したが、病状の進行を止め、回復させるには至らなかった。

(5) 被告の主張する死因等についての見解

(内容については、概ね有馬医師と同様、異なる部分のみ記載します。)

「腹腔内の洗浄が足りなかったのではないか?」 ・・・洗浄は十分に行えたが、既に長時間胆汁にさらされ、やけど状態の臓器は、洗浄したからといって元に戻る訳ではない。これ以上やけどをひどくしない為のブレーキはかけたが、病状自体を好転させるには至らなかった。

「腹鳴が有り、ガスが出ているので、腹膜炎では無いと考えた。」 ・・・カルテからは、腹鳴があったり、無かったりしている事が読み取れるが、その時点で異常である。

「エコーでは胆汁が溜まっているのは確認できなかった。」 ・・・佐藤病院のエコーを見ると、2箇所に溜まりが出来ている事がわかる。見落としただけである。また、溜まりになっていなくとも、腹腔内に広がり、他の臓器を傷める事は十分に考えられ、溜まりが見えないから漏れていないとは言えない。

「ERCPは下大静脈を傷つけているので、これに悪影響があるので避けた。」 ・・・ERCPと大静脈の傷は、全然関連性が無い。たとえそういう考えがあって、そうしたのなら、なぜ診療情報提供にこの傷に付いて書かなかったのか? 実際、日医大では、転院後にERCPを使用している。

「日医大での1回目の手術が可能だったと言う事は、その時点では病状は軽度であった。」 ・・・転院時には、既に重篤な状態であった。

「入院当日に手術をしていれば、助かったのではないか?」 ・・・大学病院でも、緊急手術は実施しているが、午後に転院して来て、必要な検査を行い、手術の準備をすれば、少なくとも手術開始は深夜になってしまう。この為、深夜に緊急手術をするより、翌日正規のスタッフにより正式な手術を行うべきと考えた。通常正規の手術は、数日前に手配しなければできないが、今回のケースでは、八方手を尽くして、翌朝9:00からベストメンバーで手術を実施している。そもそも、1週間以上放置して悪化させた病院に、数時間の事を責められるのは、大変心外である。

「MRSAは、日医大に転院後に感染したもので、これが直接の死因になった。」 ・・・転院直後の手術時に、すでに感染症の所見があり、佐藤病院での抗生物質の投与にも関わらず、体温の上昇傾向、白血球の増加傾向、下痢が解消されないなどの記録からは、佐藤病院で既に感染していたものと考える。腹腔内の状態からは、最初にトロッカーで傷付けた部分にて繁殖している可能性が高いと考える。

(6) 佐藤病院のカルテ・看護日誌を見ての意見

カルテより

12/21 手術当日、出血があり、輸血を行っている。

12/22 「ドレーンに胆汁が出ているなぜ?」と記載している。通常、この時点で、緊急の対処が必要である。

12/23 「ドレーンから300ccの胆汁、排便が無い」

12/24 「ヘモグロビンが悪化、輸血」→出血があるのか、感染により赤血球が壊されている。

12/25 「白血球11900」→高度の炎症がある事がわかる。「胸部レントゲン 肺炎の影?」→腹部の炎症が肺に伝わったのか、または、感染症により、肺炎が起きたと考えられる。「黄疸」→肝不全を起していると考えられる。

12/26 「熱が続いている。白血球12600。肝機能障害」→さらに炎症が悪化している。

12/27 「白血球13600、ビルビリン4.6、xxxx 3.6」→組織障害、肝不全、確実に感染症が悪化している状態と言える。

看護日誌より

12/21 「人工呼吸器、単血清、肝不全の薬」

12/22 「37.4℃、プレドパ15ml/h、ソセゴン60mg」

12/23 「37.2℃、プレドパ20ml/h、ソセゴン60mg」

12/24 「検温無し、プレドパ16ml/h、ソセゴン60mg、腹鳴−(朝)、ペンローズから赤褐色の浸出液」

12/25 「38.0℃、プレドパ10ml/h、ソセゴン60mg、腹鳴+→−、浸出液多量、血液あり」

12/26 「37.8℃、プレドパ16ml/h、ソセゴン60mg、腹鳴+→−(0:50)、赤褐色の浸出液」

12/27 「38.8℃、、ソセゴン60mg、腹鳴−(12:00)、赤褐色様浸出液」

プレドパはドーパミン、循環不全の治療薬。25日に一度少なくしているが、何か問題があったらしく  翌日また増やしている。ソセゴンは、麻薬。強い痛みが続いていた事がわかる。ペンローズは、おそらく下大静脈のドレン。胆汁の漏出が認められる。24日は、検温の記録が無い。

フルマリン、アミカシンなどの抗生物質が全く効いておらず、炎症が悪化している。

手術翌日、胆汁漏出を確認した時点で、ERCP、CTなどで、漏れている個所を見つけ、これを止める為の手術を行うべきであった。

(7) 佐藤被告の呼び出し

日医大での手術により、佐藤病院での処置に対する疑問が明らかになり、秋丸教授が、佐藤被告を日医大に呼び出した。この時、佐藤は、「日医大には、ご迷惑をお掛けしません。一切の責任は、佐藤病院が取ります。」と、謝罪した。  

吉田医師への尋問はここまで。

再現図(かずまさ氏による)

太い赤線が切断された部分です。 2重線で示した範囲が、手術によって切り取られ、日医大が開腹した時には、なくなっていた部分です。 (但し、総胆管の途絶部位については、具体的な長さ等の説明が無かったので、全くの想像です。)
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あっ,差が,おお。Last Updated: 29 July 2002
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