◆東京地方裁判所判例集より
事件番号 | : | 平成14年刑(わ)第856号 |
事件名 | : | 業務上過失致死 |
裁判年月日 | : | H16. 5.14 |
裁判所名 | : | 東京地方裁判所 |
部 | : | 刑事第2部 |
判示事項の要旨:
病院医師2名の診療行為に対し,業務上の過失が認められた例
主 文
被告人両名をそれぞれ禁錮1年に処する。
被告人両名に対し,この裁判が確定した日から3年間それぞれその刑の執行を猶予する。
訴訟費用のうち証人J,同K,同M及び同Oに支給した分は被告人両名の連帯負担とする。
理 由
(罪となるべき事実)
被告人Cは,東京都荒川区所在の医療法人社団C病院の院長・医師として,被告人Dは,C病院の外科医長・医師として,それぞれ医療業務に従事し,共に平成12年12月12日に同病院に入院したEの治療を行っていたものであるが,
1 被告人両名は,同月21日午後1時45分ころから同日午後4時45分ころまでの間,C病院において,Eに対し,被告人Cが前立ホルスタント,被告人Dが執刀医として,共同して胆嚢摘出術(以下「本件手術」という。)を実施するに際し,Eの胆嚢周辺部が高度に炎症を起こして癒着していたことなどにより,総肝管,胆嚢管,総胆管等の胆道系の解剖を目視で十分確認できないまま胆嚢底部から頸部に向けての漿膜下の剥離作業を行い,胆嚢管の結紮・切離を行おうとしていたのであるから,医師としては,万が一胆管損傷を起こした場合でもそれを開腹手術中に発見して適切な処置を行うことができるよう,術中胆道造影を行って損傷の有無を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,上記剥離作業中に誤って総肝管を切離し,かつ,胆嚢管と誤認して総胆管を結紮・切離し,これによって,腹腔内に胆汁が漏出して胆汁性腹膜炎を発症させる危険性を生じさせたのに,術中胆道造影による胆管損傷の有無の確認を行わず,上記各切離に気付かないまま閉腹して手術を終える過失を犯し,
2 被告人両名は,C病院において,引き続き共同してEの本件手術後の管理を行うに当たり,同月22日ないし23日,Eの右肝床部に留置したドレーンから胆汁が漏出していたことを認識したのであるから,本件手術は胆道系の解剖を目視で確認できないまま胆嚢を摘出したという経過も踏まえて,胆管損傷の可能性があり胆汁性腹膜炎を発症させる危険性があることを考慮して,直ちに内視鏡的逆行性膵胆管造影法検査(以下「ERCP検査」という。),CTスキャン検査,血液生化学検査等の諸検査を実施して胆管損傷の有無及びその原因の究明に努めるとともに,胆汁の腹腔内への漏出を停止させ,胆汁性腹膜炎の発症及び進行を阻止すべく開腹手術を実施するなど適切な処置を行うべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,胆汁は上記ドレーンからすべて体外に排出されているものと軽信し,胆管損傷の有無や胆汁性腹膜炎の発症の有無を感知するためのERCP検査,CTスキャン検査,血液生化学検査等の諸検査及びこれに引き続く開腹手術等の適切な処置を行わないまま,漫然と経過観察を継続した過失を犯し,
上記各過失により,同月28日ころまでにはEに汎発性の胆汁性腹膜炎を発症させ,よって,平成13年2月9日午後4時40分,転院先の同都文京区所在のF病院において,同人を胆汁性腹膜炎に起因する多臓器不全により死亡するに至らせた。
(証拠の標目)(略)
(事実認定の補足説明)
第1 争点
1 過失の内容となる注意義務違反について
検察官は,本件手術に際し,下大静脈の損傷による出血の後,Eの循環動態が不安定であり,止血の確認が不十分であるなど,直ちに胆嚢摘出に着手するのが不適切な状態であったのに,被告人両名はあえて胆嚢摘出に着手したという事実を前提として,被告人両名には,@胆嚢系の各組織の解剖を目視で確認しつつ慎重に組織の剥離,切除,切離等を行い,あるいは炎症,癒着,出血等による視野不良のため目視による確認が不可能であれば,胆嚢の一部を残存させる非定型的胆嚢摘出術に移行するなど,胆管損傷を確実に防止し得る手術手技を用いるべきであるという注意義務,A胆管損傷を起こした場合でもそれを手術中に発見して適切な処置を行うことができるように,術中胆道造影を行って損傷の有無を確認するとともに,損傷に気付きやすい手術器具を用いて手術を行うべきであるという注意義務,B本件手術後は,Eの容態等を慎重に観察し,胆管損傷の疑いがあり,胆汁性腹膜炎の発症の危険性が認められた場合には,直ちにERCP検査,CTスキャン検査,血液生化学検査等の諸検査を実施して胆管損傷の有無及びその原因の究明に努めるとともに,胆汁の腹腔内への漏出を停止させ,胆汁性腹膜炎の発症及び進行を阻止すべく開腹手術を実施するなど適切な処置を行うべき注意義務,の各業務上の注意義務があるのに,被告人両名はこれらをいずれも怠ったと主張するのに対し,弁護人は,被告人両名が胆嚢摘出に着手した際にはこれを行うことが不適切な状態ではなかったと主張して前提事実の有無を争うとともに,検察官が主張する各注意義務及び各注意義務違反の行為につき,いずれも存在しないと主張してこれを争っている。
2 因果関係について
検察官は,被告人両名は,上記各注意義務違反の行為により,Eに汎発性の胆汁性腹膜炎を発症させ,転院先のF病院において,これに起因する腸閉塞等による多臓器不全によりEを死亡させたと主張するのに対し,弁護人は,EはC病院においては汎発性の胆汁性腹膜炎にはなっておらず,仮になっていたとしても胆汁性腹膜炎そのものは直ちに死に至る病気ではないので,Eは転院先のF病院における不適切な医療行為により死亡したものであると主張して,被告人両名の医療行為とEの死亡との間の因果関係を争っている。
3 そこで,当裁判所が判示のとおり,被告人両名が業務上の注意義務に違反した行為によりEを死亡するに至らせた旨認定した理由について,以下説明する。
第2 関係各証拠により認定できる事実
関係各証拠によれば,以下の事実を認定することができ,これを左右するに足りる証拠はない。
1 Eは,平成12年11月10日(以下,平成12年の出来事については,年の表記を省略することがある。),心窩部痛を訴えて,F病院を外来受診し,胃炎と診断されて投薬治療を受け,同月17日にも,同病院において同様の投薬治療を受けた。
2 Eは,12月11日夜,また心窩部痛を訴え,救急車でF病院に搬送された。同病院でレントゲン撮影が行われた後,Eは,当直医から亜腸閉塞の疑いと診断されたが,同病院のベッドの空きがなかったため,再び救急車で搬送され,翌12日午前1時35分ころ,C病院に到着した。C病院では,当直医が診察を行い,急性胃炎又は亜腸閉塞の疑いと診断し,Eは同病院に入院することとなった。
その後,同日午前中にC病院の内科医師であるG医師がERCP検査やエコー検査を実施した結果,Eは,胆石による急性胆嚢炎に基づく亜腸閉塞と診断された。Eは外科に転科となり,被告人両名がEの担当医となった。
被告人両名は,Eに対して,まず,胆嚢周辺の炎症を抑えるために,抗生剤の点滴投与を行った上,同月21日に胆嚢摘出術を行うこととした。
なお,C病院では,手術に先立つ同月18日にEのERCP検査を行ったが,その際,Eの胆道系には奇形等の解剖学的異常はなく,胆嚢管も開通した正常な状態であった。
3 Eに対する本件手術は,12月21日午後1時45分ころから開始された。
本件手術においては,被告人Dが執刀医,被告人Cが執刀医を指導的立場で補佐する前立ホルスタント,F病院から派遣されたH医師が麻酔をそれぞれ担当し,当初は,看護婦3名が立ち会い,後にみる下大静脈からの出血以降は,もう1名看護婦が加わった。
4(1) 麻酔措置の後,被告人Dは円刃メスで臍下部を小さく切開し,皮下脂肪をペアン鉗子で広げ,コッヘル鉗子を2本入れて筋膜をつかんで持ち上げ,そこに気腹針を入れて炭酸ガスを注入し,腹部の筋膜を臓器から離すようにして浮かせ,圧力が8になったところで,気腹針を抜き,胸腹腔用穿刺器具(以下「トロッカー」という。)を腹部に挿入した。
トロッカーとは,把持部に細長い円筒が付いた形の,内筒と外筒から成る手術器具で,内筒の先には金属製の刃が入った刃収納部があり,先端に抵抗が加わると刃が外に飛び出し,抵抗がなくなると刃が元に戻り収納される仕組みになっているものである。
被告人Dは,このトロッカー挿入の際,力の加減を誤ったことからEの下大静脈に損傷を与えてしまい,そのため,その損傷部位から大量の出血が生じた。
(2) これに全く気付かなかった被告人Dは,トロッカーの内筒を引き抜き,被告人Cが外筒を通してEの体内に内視鏡を挿入した。
その後,内視鏡の視野に大量の血液が映ったことなどから,被告人両名は,患部よりも深い部位で出血が生じていることに気付き,腹腔鏡下での手術続行は困難と判断し,被告人Cの決断で開腹手術に移行することとし,同日午後1時50分ころ,被告人両名の立ち位置を交替し,被告人Dの執刀でEの開腹を開始した。
また,被告人両名は,本件手術前には大量出血する可能性を想定しておらず,輸血用血液を全く用意していなかったため,このころ,被告人Cが看護婦に指示して,I血液センターから輸血用血液を緊急に取り寄せる手配をした。
(3) 被告人DがEの開腹を行い,被告人両名は,ガーゼや吸引機で腹腔内の血液を体外に排出した後,Eの腸間膜に穴が開いており,その付近に直径約5pの血腫があることを確認し,被告人Dはその部位をガーゼで圧迫して止血を試み,出血は止まった。
Eの血圧は,その間低下し,午後2時1分には収縮期が41mmHg(以下,血圧の表記についてはmmHgを省略する。),拡張期が22となり,その後収縮期が50台,拡張期が10ないし30台を続けていたが,午後2時15分には収縮期が49,拡張期が15と再び低下し,以後午後2時25分に収縮期が42,拡張期が20を記録するまで,収縮期が40台,拡張期が10ないし20台を続けていた。しかし,午後2時28分に収縮期が54,拡張期が22を記録してからはほぼ上昇を続け,午後2時37分には収縮期が60,拡張期が24,午後2時45分には収縮期が74,拡張期が16を記録し,午後2時50分には収縮期が89,拡張期が39となって,以後午後3時47分までの間,収縮期の血圧は80台未満に下がることはなかった。
その間,被告人両名は,急速輸液やアルブミン(輸液の水分が逃げるのを防ぎ血圧を上げるために膠質浸透圧を上げる薬剤)の投与,昇圧剤のエホチールの投与を行うとともに,午後2時50分ころにはEの右頸部にIVHを挿入し,昇圧剤のプレドパの投与も開始した。
そして,被告人両名は,午後2時50分ころ,本来の目的であった胆嚢摘出術に移行することに決めた。なお,午後2時55分ころにはEの出血量は900t,午後3時15分ころには更に280tと把握されていた。
(4) 被告人両名は,まず,胆嚢周辺の癒着の剥離作業を行い,ハサミやメスを使った鋭的剥離とツッペルや鉗子の先を使った鈍的剥離を並行して進めた。
上記鋭的剥離の方法は,被告人Dが長谷川鉗子で切るべき場所を広げ,被告人Cが超音波凝固切開装置(以下「超音波メス」という。)で切る部位を挟み込み,被告人Dが超音波メスのフットペダルを踏んで操作し,被告人Cが挾んでいる部位を切り取るというものであった。
剥離作業中,再び血液がEの腹腔内に溜まり出し,再出血したことが分かった。被告人両名は,剥離作業を中断し,上記の腸間膜に開いた穴を確認したが,そこは出血部位ではなかった。被告人両名が開腹作業の際に切った部分を更に切り下げ,手で血液をかき出したり,血液を吸引するなどして検索したところ,出血部位は後腹膜付近であることが分かった。
被告人両名は,折り畳んだタオルを押し当てる圧迫止血を数分間行い,止血後剥離作業に戻った。
(5) 被告人両名は,横行結腸や大網の剥離を終えて,胆嚢本体の剥離に取り掛かったところ,総肝管,総胆管,胆嚢管の3管が合流する部分(以下「3管合流部」という。)を覆っている肝十二指腸靱帯の炎症・癒着が激しく,出血しやすい状態であったことから,胆嚢頸部から剥離を進めて3管合流部を露出し,その解剖を明らかにした上で胆嚢を摘出することは不可能であると考えた。
そのため,被告人両名は,胆嚢底部から頸部に向かい漿膜下で剥離を進め,胆嚢管に達した時点でこれを結紮して切離するという術式を選択し,共同して剥離作業を行っていった。
なお,午後3時25分ころ,I血液センターに手配していた輸血用血液が手術室に到着し,被告人両名らはポンピングにより800tの緊急輸血をしたが,この時点においてEの収縮期の血圧は98,拡張期の血圧は41であった。
(6) 被告人両名は,胆嚢底部から胆嚢頸部に至るまでの剥離作業中,誤って超音波メスにより,Eの総肝管を切断してしまったが,これに全く気付かなかった。
(7) さらに,被告人Dは,左手で握ったペアン鉗子で底部を剥離した胆嚢を手前に引っ張りながら,右手で長谷川鉗子を握り,その先を胆嚢に付いてきた管に潜り込ませた。被告人両名は,この管は胆嚢に付いてきたので,胆嚢管に間違いないと思い込み,被告人Cが長谷川鉗子の先に絹糸を通し,被告人Dが長谷川鉗子を手前に引き,被告人Cがその絹糸を結紮した。被告人両名は,結紮した管は胆嚢管であると考えて,更に1箇所結紮した後,結紮相互の間を超音波メスで切離し,午後3時37分ころ,胆嚢を摘出した。しかしながら,被告人両名が実際に結紮・切離したのは,胆嚢管ではなくて総胆管であった。
(8) 被告人両名は,本件手術は成功したものと考え,右肝床部にドレーンを留置するとともに,大量出血した部位からの再出血に備えて,腸間膜後面付近にペンローズドレーンを留置して,同日午後4時22分ころ閉腹し,その後,所要の措置を講じて,本件手術を終了した。本件手術を通じてのEの総出血量は3750gであった。
5(1) 本件手術後,被告人両名は,Eに気管内挿管を施し,人工呼吸器を装着した状態で,Eを病室に戻した。
被告人Cは,Eの家族に対し,癒着が激しく,出血が多かったため,開腹手術を行ったこと,輸血を行ったことなどを説明したが,トロッカーによる出血については全く説明しなかった。
Eのこの日の最高体温は37.5℃,白血球数の最高値は3万0900であり,右肝床部ドレーンからは翌22日午前5時までの間に合計142tの排出液が見られた。
(2) 翌22日,被告人Dは,午前中の回診時に,Eの右肝床部ドレーンから目測約300tの胆汁混じりの液が排出されていることに気付いたが,その原因は,胆嚢摘出時に肝床部を傷つけたためであろうと判断し,肝床部からの胆汁漏出は胆嚢摘出術後にときにみられる現象であると考えて,同日午後2時15分ころには,Eの気管内挿管を抜管し,胆汁漏出については被告人Cに引継ぎをせずに,夕方C病院から帰宅し,妻と沖縄旅行に出かけた。
被告人Cは,同日の回診時に,右肝床部ドレーンからの胆汁漏出に気付き,カルテに「ドレーンより胆汁 なぜ?」と記載したが,漏出している胆汁はすべてドレーンから排出されていると判断し,そのまま経過観察をする以外に特段の処置を行うことは検討しなかった。
Eのこの日の最高体温は37.5℃,白血球数の最高値は1万9100であり,右肝床部ドレーンからは翌23日午前5時までの間に合計343tの排出液が見られた。
(3) 翌23日,被告人Cは,この日の回診時に,前日分の右肝床部ドレーンからの排出液を見て,カルテに「胆汁 ドレーンより>300?」と記載した。
Eのこの日の最高体温は37.4℃,右肝床部ドレーンからは翌24日午前5時までの間に合計170tの排出液が見られた。
(4) 翌24日には,C病院の看護婦は,ペンローズドレーンからの排出液につき,看護記録に「ペンローズより褐色〜血性浸出液++」と記載した。
Eのこの日の最高体温は37.7℃,白血球数の最高値は1万2500であり,右肝床部ドレーンからは翌25日午前5時までの間に合計280ccの排出液が見られた。
(5) 翌25日,被告人Cは,Eの血液生化学検査を実施したところ,総ビリルビン値が4.1mg/dl(以下,ビリルビン値の表記についてはmg/dlを省略する。),直接ビリルビン値が2.5を示したことから,総肝管ないし総胆管の狭窄を疑い,カルテに「ERCP? 今週中に考える。」などと記載したが,それ以上に特段の処置を行わなかった(なお,総ビリルビン値の基準値は0.2〜1.2,直接ビリルビン値の基準値は0〜0.4とされており,同月12日時点におけるEの総ビリルビン値は0.7,直接ビリルビン値は0.2であった。)。
Eのこの日の最高体温は38.1℃,白血球数の最高値は1万1900,CRP値は2.6mg/dl(以下,CRP値の表記についてはmg/dlを省略する。)であり,右肝床部ドレーンからは翌26日午前5時までの間に合計約210ccの排出液が見られた。
(6) 翌26日,被告人Dは,この日,4日振りにC病院に出勤してEのカルテに目を通し,右肝床部ドレーンから胆汁漏出が続いていることや,前日の生化学検査の結果などを確認した。そして,被告人Dが改めて生化学検査を行ったところ,総ビリルビン値が5.3,直接ビリルビン値が3.1を示したことから,総肝管ないし総胆管の狭窄を疑い,G医師に対し総胆管及び肝内胆管の拡張の有無を調べるためのエコー検査を実施するよう依頼した。また,被告人Dは,カルテに,「高熱 白血球数12600 肝機能障害」,「肝床部ドレーンより1日量150?前後の胆汁様の排液を認めます。」などと記載したが,上記以上に特段の処置を行わなかった。
Eのこの日の最高体温は37.8℃,白血球数の最高値は1万2600であり,右肝床部ドレーンからは翌27日午前5時までの間に合計約125tの排出液が見られた。
(7) 翌27日,G医師はエコー検査を行ったが,総胆管や肝内胆管の拡張は確認できず,血液生化学検査の結果によると,総ビリルビン値が4.8,直接ビリルビン値が3.0であった。被告人Dは,カルテに,「閉塞性黄疸は,エコーでは否定的だが,データは一致。総胆管損傷か狭窄? いずれにしてもERCPでの確認が必要」などと記載し,胆汁漏出が続くことやビリルビン値が高い原因を探るため,ERCP検査を実施することとし,最悪の場合は再手術もあり得る旨,Eにも伝えた。
なお,被告人Cは,この日あるいは翌28日の回診時に,ペンローズドレーンから胆汁が漏出していることを確認した。
Eのこの日の最高体温は38.8℃,白血球数の最高値は1万3600,CRP値は11.6であり,右肝床部ドレーンからは翌28日午前5時までの間に合計約167tの排出液が見られた。
6 翌28日,被告人両名はEに対しERCP検査を実施する予定であったが,被告人両名の医療行為に不信感を抱いたEの家族が転院を強く希望したことから,Eは急きょF病院に転院することとなり,上記検査は結局実施されるに至らなかった。
なお,Eの右肝床部ドレーンからは同日午前5時から午前11時までの間に合計約40tの排出液が見られた。
7(1) Eは,同月28日,転院先のF病院において,J医師,K医師及びL医師らの治療を受けることとなり,同日,同病院においてERCP検査を受けたところ,総胆管が途絶していることが判明した。
なお,F病院転院後のEの最高体温は39.0℃,同病院で行われた血液生化学検査の結果によれば,同日のEの白血球数の最高値は1万2100,CRP値は11.73,総ビリルビン値が5.0,直接ビリルビン値が3.3だった。
(2) 翌29日の午前10時5分から,J医師が執刀医,K医師らが助手として,Eの開腹手術が行われ,Eの総胆管が絹糸で結紮されており,総胆管及び総肝管がそれぞれ切離・切断されていること,総肝管切断部から胆汁が腹腔内に漏出していることが確認された。J医師らは,Eの腹腔内を生理食塩水で洗浄して腸の癒着を剥離するとともに,それ以上の胆汁漏出を防止するため,切断された肝門部の総肝管から小腸に胆汁が流れるようにする肝管空腸吻合術を実施し,肝下面及び右横隔膜下にそれぞれドレーンを留置したほか,吻合部を減圧して縫合不全を防止するためにRTBDチューブ2本を挿入するなどの処置を行った。なお,この際,同医師らは,Eのメッケル憩室も切除した。さらに,同医師らは,感染症防止のために手術直後からバンコマイシンを投与した。
(3) しかし,Eはその後も快方には向かわず,J医師らは,平成13年1月9日ころ,CT検査により下大静脈に血栓を発見し,肺梗塞等の防止のために,下大静脈フィルターを入れ,同月24日にも,Eに対し,腸閉塞解除を目的とする開腹手術を実施するなどした。
8 Eは,平成13年2月9日,F病院において死亡した。その後,M医師らによる司法解剖の結果,Eの死因は,胆汁性腹膜炎及びこれに起因する腸閉塞等による多臓器不全と診断された。
第3 争点に対する判断
1 下大静脈からの出血後,午後2時50分ころ被告人両名が胆嚢摘出に着手したことが不適切であったか否かについて
(1) 当事者の主張
検察官は,Eは本件手術中に一時出血性ショックの状態に陥ったのであるから,このような場合,胆嚢摘出に着手するためには,循環動態が安定したこと,止血が完全にできていること,術野が十分に確保されていることの3つの条件が整っていることが必要であるのに,午後2時50分ころは,循環動態がいまだ安定しておらず,下大静脈の損傷部位の止血も完全にはできていなかったのであるから,被告人両名が胆嚢摘出に着手したことは不適切であったと主張する。
これに対し,弁護人は,胆嚢摘出に着手するためには上記3つの条件が必要であること自体は争わないが,被告人両名が胆嚢摘出に着手した午後2時50分ころには,Eは出血性ショックの状態から脱出していて,その循環動態は安定しており,止血もできていたことから,被告人両名が胆嚢摘出に着手したことが不適切であったとはいえないと主張する。
(2) 検討
ア まず,当公判廷においては,N医師及びO医師がいずれも第3者として,被告人両名のEに対する医療行為の適否等について証言を行ったが,両医師は,いずれも臨床経験豊かな腹部外科の専門家であり,当事者や関係者のいずれとも利害関係を有さず,本件の記録を真摯に検討して証言を行ったものであるから,その証言内容は,特段の事情がない限り,基本的には信用に値するものと考えられ,特に両医師の証言が一致する点についてはその信用性は高いと認められる。もっとも,O医師については,主尋問と反対尋問とで証言内容が異なっているかのようにみえる部分も認められるが,その原因はO医師自身が述べるように,各質問者の述べる前提事実が異なっていたためとみるのが相当であって,その証言の信用性に疑問を入れる事情とは認められない。
イ そこで,この点に関する両医師の証言をみるに,N医師は,Eの胆嚢摘出着手時にその循環動態が安定していたか否かについては明言していないが,胆嚢摘出術に移行後再出血していることから,止血は不完全であったと認められ,被告人両名が胆嚢摘出に着手したことは不適切であったと供述している。これに対し,O医師は,完全に止血ができていると確認するためには,出血部位が縫合できたか,あるいは圧迫止血により血栓が形成できたことの確認が必要であるが,被告人両名は,圧迫止血によりその時点では完全に止血できたと判断したものと思われ,その判断が間違っていたとまではいえず,また,循環動態に関しては,午後2時50分以降は,輸液や昇圧剤の注入によってではあるものの,収縮期の血圧80以上が続いており,輸血も近く到着する予定になっていたのであるから,厳密には循環動態がその時点で完全に安定していたとまではいえず,自分であれば,もう少し待って様子を見てからどうするかを考えたと思うし,医学生に対してはそのように教えるべきであるとしながらも,他方において,経験豊かな医師であれば,100人中50人は,その時点で胆嚢摘出に着手したと思うなどとも供述している。
そこで,これらの証言について検討するに,まず,止血の点についてみると,被告人両名が胆嚢摘出に着手した後,剥離作業中に結果的に再出血が起こったことは事実であるが,被告人Dは,腸間膜の出血部位を圧迫して止血を試み,一旦は成功したものであり,その時点で再出血の可能性を予測すべきであったという明確な根拠が認められないことからすると,被告人両名のその時点における判断が間違っていたとまではいえないというO証言が相当と認められる。
次に,循環動態の安定性についてみるに,O医師が前提とした事実に誤認はない上,その見解を覆すに足りる論拠もないことからすると,その証言は相当であると認められる。そうすると,午後2時50分ころにおいて,Eの循環動態が完全に安定していたとまではいえないが,他方において,経験豊かな医師であれば,その時点において100人中50人は胆嚢摘出に着手したというのであるから,被告人両名がこの時点で胆嚢摘出に着手したことが不適切であったとまではいえないというべきである。
以上によると,検察官の主張する,下大静脈からの出血後午後2時50分ころ,被告人両名が胆嚢摘出に着手したことが不適切であったとの事実は,これを認めることはできない。
2 胆管損傷を確実に防止すべき手段・手技を用いるべきであるという注意義務の存否について
(1) 当事者の主張
検察官は,胆嚢を摘出する際は,各組織の解剖を目視で確認してから剥離,切除等を行うべきであり,炎症,癒着等により目視による確認が不可能であれば,胆嚢の一部を残存させる非定型的胆嚢摘出術を行うか,もしくは胆嚢摘出を断念するしかないのに,被告人両名は漫然と定型的胆嚢摘出術を続行したために,Eの総胆管・総肝管を切断してしまったと主張する。
これに対し,弁護人は,本件手術の結果,腹腔内への胆汁漏出が生じたとしても,それは総肝管損傷に基づくものであって,総胆管の結紮と切離によるものではない上,被告人両名が総胆管を結紮・切離したのは,先行して総肝管を切断してしまったことにより,胆嚢管を引っ張ったところ総胆管が一緒に出てきてしまったことから,総胆管を結紮し切離してしまったものであり,被告人両名が非定型的胆嚢摘出術等の術式を選択しなかったことは胆汁の漏出という本件の結果とは無関係である旨主張する。また,弁護人は,検察官主張の術式を選択することは絶対的な要求ではなく,定型的胆嚢摘出術のメリットを考えれば,その時々において定型的胆嚢摘出術と非定型的胆嚢摘出術のいずれを選択するかは,医師の裁量に属する事柄である旨主張する。
(2) 検討
ア まず,弁護人の前段の主張について検討するに,確かに,胆汁漏出の原因が厳密には総胆管切断よりも総肝管の切断にあることは疑いがなく,総胆管の切断が非定型的胆嚢摘出術の選択とは無関係であることも確かであるが,他方において,被告人両名が胆嚢摘出を行う際に,胆道系の各組織の解剖を目視で確認してから剥離,切除を行わなかったために総肝管が切除されたものであることも疑いのない事実であり,この事実は検察官主張の訴因変更後の公訴事実に含まれているといえるから,弁護人の主張は理由がない。
イ 次に,弁護人の後段の主張について検討する。
まず,N医師は,「胆嚢を摘出する場合,一番大事なことは目で確認することであり,目で確認できないものは切ってはならない。炎症が高度の場合は,胆嚢底部から胆嚢切離を進めるのが常識であり,C病院でもその術式を選択しているが,気を付ければ99.9%大損傷は避けられるものである。」と述べ,炎症が高度の場合においても,目で確認しながら胆嚢摘出を進めるべきであり,その場合は定型的な胆嚢摘出が可能である旨証言している。また,O医師は,「炎症が強く胆嚢管及び胆嚢動脈の解剖を確認することができない場合は,定型的な手術ができない場合があり,そのような場合は胆嚢を一部残しながら切除することがある。」としつつも,「多くの場合は副損傷なく切除されることが多い。損傷しそうなぐらい炎症が強ければ,少し手前のところで切除していく。気を付けて,深く切込まないようにする。」,「炎症が高度の場合,注意してやらなければならない。胆嚢を全部取ろうと思ったりしないとか,もっと炎症が収まってから手術の時期を考えてやるとかいうことになる。どうしても手術をしなければいけない事情がある場合もある。」などと述べて,本件の場合に胆嚢摘出を断念したり,非定型的胆嚢摘出術に移行すべきであったか否かについては明確に述べていない。
次に,医学文献をみると,「肝門部の硬結が高度で,長時間をかけて入念に剥離してもこの部分の胆管が露出できない場合には,胆嚢の摘出は断念し,胆嚢を切開して中の結石を除去するに止めるのが賢明である。」,「肝門部が厚い繊維化を起こしていて,その領域の剥離が困難である場合には,総胆管を十二指腸の上部で切開して,そこからゾンデあるいは拡張器を肝門に向かって挿入するとよい。そうすれば,総肝管と右肝管を安全に確認することができる。このような操作を用いても胆管の確認ができない場合は,外胆汁瘻造設のみに止めた方が賢明である。」とされている文献(甲44)がある一方,炎症・癒着が激しい場合には,非定型的胆嚢摘出術に移行するか胆嚢摘出を断念すべきであるとまでは記載せず,「胆嚢底部から剥離を開始し,最後に胆嚢動脈,胆嚢管を切離する術式は,炎症が強い場合であっても安全に胆嚢摘出を行える方法である。非定型的胆嚢摘出術には幾つかの欠点があるのでなるべく避けた方がよい。」などとされている文献もみられるのである(甲45)。
以上を総合すると,胆嚢摘出を行う場合に,胆道系の解剖を目視で確認しつつ行うのが望ましいものであることは確かであるが,炎症・癒着の程度が激しく,胆道系の解剖が目視で確認できない場合に,胆嚢摘出を断念するか非定型的胆嚢摘出術に移行するのが医師として要求される注意義務であるとまでいうのには疑問を入れる余地があり,胆嚢摘出術においてそれなりの経験を有する被告人両名が,胆嚢底部から頸部に向かって剥離を進めるという炎症が高度の場合に比較的安全とされる術式により,胆嚢全部の摘出作業を進めたことが,医師として要求される注意義務に違反したものであるとまではいえない。
したがって,この点に関する検察官の主張は採用しない。
3 損傷に気付きやすい手術器具を用いるべきであるという注意義務の存否について
(1) 当事者の主張
検察官は,被告人両名が本件手術で使用した超音波メスは,挟み込んだ組織を凝固させて切断する器具であるため,切断された総肝管等からしばらく胆汁が漏出せず,その損傷に気付きにくくなるから,胆嚢周辺の炎症と癒着が激しく目視で胆道系の解剖が確認できない本件手術の際に使用すべき器具ではなく,他の損傷に気付きやすい手術器具を用いるべき注意義務があったと主張する。
これに対し,弁護人は,超音波メスは,癒着が激しく出血しやすい症例に適した器具として開発されたものであること,外科医は自分に最も適した器具を使うのが最良であることからすれば,検察官の主張は失当であると主張する。
(2) 検討
O医師は,この点につき,「超音波メスにより,組織がタンパク変性を起こし,切り口が分かりにくくなる。組織が白くなるから,組織の違いの層などが分かりにくくなる。」などと述べており,その信用性に疑問の点が見当たらないことからすると,本件手術において超音波メスを使用したことにより,術中に総肝管等を損傷してしまったことに気付きにくくなる結果となったことは否定できないものと認められる。
しかしながら,O医師は,「器具は自分が一番使い慣れたものを使うべきである。超音波メス以外の器具となると,電気メスか普通のメスということになるが,電気メスであれば組織のやけどの部分が広くなるし,メスであれば出血が多くなる。また,使い慣れない器具でやることも1つのリスクとなる。だから,本件の場合でも必ず,この器具を使いなさいとははっきり言えないと思う。」と述べて,検察官の主張を明確に否定している。また,医学文献中にも,術中に胆管損傷を起こしたことに気付かずに閉腹してしまった原因として超音波メスの使用を要因として挙げたものは見当たらず,癒着が激しい場合には超音波メス以外の器具を用いるべきであると指摘したものもない。
以上によれば,被告人両名は,超音波メス以外の手術器具を用いるべき注意義務があったという検察官の主張は採用できない。
4 術中胆道造影を実施して胆管損傷の有無の確認を行うべきであったという注意義務の存否について
(1) 当事者の主張
検察官は,被告人両名が3管合流部の解剖を確認しないまま定型的胆嚢摘出術を行う以上,万が一胆管損傷を起こした場合でもそれを手術中に発見して適切な処置を行うことができるよう,術中胆道造影を行って胆管損傷の有無を確認すべき注意義務があると主張する。
これに対し,弁護人は,胆嚢摘出術において具体的にどのような場合に術中胆道造影を実施すべきであるかについての明確な基準は存在していないから,これを注意義務として捉えることはできないと主張する。
(2) 検討
まず,O医師は,本件のように胆道系の癒着が強く解剖を目視できないまま,超音波メスのような術中の胆管損傷に気付きにくい器具を使って胆嚢の剥離を進める場合に,絶対すべきであるとまではいえないが,術中胆道造影を行った方が良かったと供述している。
次に,医学文献をみると,検察官提出の証拠(甲44ないし46)においては,いずれも胆嚢摘出術の施行に際して,術中胆道造影を行うこととされており,弁護人提出の証拠においても,「胆摘後に必ず術中胆道造影を行い,全胆管系が描出されているかどうか,胆汁漏出の有無を確認することも必要である。」(弁10),「胆石症の手術時には術中造影を行い,肝内外の胆管系が十分に描出されているかどうかを確認することが胆管損傷の見逃しを防ぎ,早期発見,早期処置につながる。」(弁11),「胆管損傷による胆汁漏出の発見のためには手術操作終了時の胆管造影が必須である。」(弁12),「胆管損傷の発見…のためには,術中胆管造影は不可欠である。」(弁35)とされている。
また,被告人Dは,第8回公判期日において,「胆嚢でミスを犯さずにというのは,ちょっといい方法が見つかりません。ただ,癒着がひどければ,術中の胆道造影をやっぱりすべきだったと。今になって思えば,術中造影をすれば,こんなミスは防げたんじゃないかと思います。」などと述べ,被告人Cも,第13回公判期日において,「胆管損傷を疑ったような場合に,胆嚢摘出後に胆嚢管の残ったところから管を入れて造影する施設は多いんじゃないか。」などと述べている。
さらに,関係証拠によれば,胆管損傷を放置すると,胆汁の漏出によって胆汁性腹膜炎を発症させることは明らかである上,後記のとおり,胆汁性腹膜炎が死に至る可能性が高い病気であることも認められる。
以上を総合すると,被告人両名は,Eの胆嚢周辺部の高度の炎症と癒着のために,3管合流部等の胆道系の解剖を十分確認することができないまま,漿膜下において超音波メスを用いて剥離作業に従事していたものであり,弁護人も指摘するとおり,術中に解剖を確認しないで総肝管等の胆道系を損傷してしまうことが統計上一定の割合で生じていることを考慮すると,被告人両名には,胆嚢の剥離作業中に胆管損傷を起こした可能性があることを認識し,仮に損傷が確認できた場合は直ちに修復のための施術に移行し,胆汁漏出を食い止めて胆汁性腹膜炎の発症を防止することができるように,胆嚢摘出後閉腹前に直ちに術中胆道造影を行い,総肝管等の損傷等の有無を確認すべき注意義務があったものと解するのが相当である。
なお,被告人Dは,第12回公判期日において,術中胆道造影には,造影剤によるショックやアレルギー性のショックを起こす可能性,レントゲンによる被曝やコスト,カテーテル等の外筒によって胆管を割いてしまう可能性等のデメリットがあるなどと供述しているが,上記の各医学文献においてはそのようなデメリットから造影を差し控えるべきであるなどとする記載は一切認められない上,上記第8回公判期日における被告人D自身の供述内容に照らせば,仮に術中胆道造影に上記のようなデメリットがあったとしても,その必要性・重要性とは到底比較にならない程度のものであると解されるのであって,上記の判断に影響を及ぼすものとはいえない。
5 本件手術後にEの容態等を慎重に観察し,胆管損傷を疑って適切な処置を行うべきであるとの注意義務について
(1) 当事者の主張
検察官は,以下のように主張している。
すなわち,本件手術の経過を踏まえれば,少なくとも本件手術後にドレーンから胆汁が漏出しているのを確認した時点で,被告人両名には,胆管損傷を疑ってERCP検査や開腹手術等の適切な処置を行うべき注意義務がある。また,その時点で経過観察することが許されるためには,医師が適切な触診によって腹膜刺激症状の有無に留意しつつ,患者の発熱状況,血液生化学検査によって得られるCRP値,白血球数,ビリルビン値等の数値にも留意して患者の全身状態を注意深く観察し,かつ,画像診断によってドレーンが適切な位置に留置されていると確認していることが必要と解されるところ,被告人両名は,腹膜刺激症状の有無について適切な触診を行わず,術後4日目になるまでCRP値やビリルビン値の測定を行わず,12月27日になるまで一切の画像診断をすることなく,漫然と経過観察を続けたものであって,これらの被告人両名の行為は上記注意義務に違反するものである,というものである。
これに対し,弁護人は,一般論として,胆管損傷が疑われる胆汁の漏出に対しては,なるべく早期に再手術を行い,胆道再建術を施行すべきであることは争わないが,初回手術時に腹腔内にドレーンが留置され,腹腔内に漏出した胆汁がドレーンから十分に誘導排出されている場合には,腹膜刺激症状の有無等に留意しながら保存的治療によって経過を観察することも許されるのであり,被告人両名は,そのようにして経過観察を行ったものであるから,被告人両名には注意義務違反の行為はないと主張する。
(2) 検討
ア まず,被告人Cは,12月22日の回診時に,右肝床部ドレーンから胆汁漏出に気付いたことに関して,カルテに「ドレーンより胆汁 なぜ?」と記載し,同月23日にも,回診時に前日分の右肝床部ドレーンから排出液を見て,カルテに「胆汁 ドレーンより>300?」と記載しているのであるから,通常の胆嚢摘出術の後に漏出する胆汁とは性質の違う胆汁漏出が生じていることを認識していたものと強く推認することができる。
そして,前記のとおり,本件手術においては,胆嚢周辺部の炎症・癒着により胆道系の解剖を十分に確認することなく,あえて胆嚢摘出を行っているのであるから,通常の胆嚢摘出術の後に漏出する胆汁とは性質の違う胆汁漏出が生じていることを認識した時点で,術中胆管損傷を生じている可能性があり,これを放置すると胆汁の漏出によって胆汁性腹膜炎を発症させ,死に至る危険性があることを考慮して,ERCP検査,血液生化学検査,CTスキャン検査等の諸検査を行っていれば,ERCP検査によって総胆管が途中で途絶していることが,血液生化学検査によりビリルビン値の異常があることがそれぞれ確認できたはずであり,また,CTスキャン検査により胆管周辺に胆汁が貯留していることが確認できた可能性もあったものと認められる。
そして,O医師は,目視で胆道系の解剖を確認できないまま超音波メスを用いて胆嚢を摘出したという本件手術の経緯からすれば,術後最初に胆汁漏出を確認した時点で,胆管損傷を大いに疑って,胆道系の検査,画像診断等を行うべきであったと証言しており,その証言に疑問な点は認められない。
そうすると,被告人Cには,遅くとも同月23日の時点において,術中胆管損傷を生じている可能性があり,これを放置すると胆汁の漏出によって胆汁性腹膜炎を発症させ,死に至る危険性があることを考慮して,ERCP検査,血液生化学検査,CTスキャン検査等の諸検査を行うべき注意義務があったものと認めるのが相当である。
これに対し,被告人Cは,公判廷において,最初に胆汁の漏出を確認した時点で,胆管損傷の可能性は考えたが,手術時に肝臓がかなり傷ついたので,そこからの漏出かもしれないと思い,ドレーンからの胆汁の排出量等に注意しながら経過をみることにした旨供述するが(第7回,第8回公判),本件手術の経緯を踏まえた上記O証言に照らすと,医師としての上記注意義務に違反する行為であったというほかはない。
イ 弁護人は,術中胆管損傷の疑いがあったとしても,いまだ炎症が強ければ直ちに再建術を行うことにはリスクがあり,再手術のタイミングを見計らいながらある程度の期間経過観察を行う症例はいくらでも存在するから,被告人両名の経過観察が直ちに過失であるということはできないと主張する。
しかしながら,被告人両名の公判供述等を総合すると,被告人両名は,胆嚢摘出術は何らの問題なく成功裡に終わったものと信じていたことから,術中胆管損傷が生じたとは全く考えておらず,胆汁の漏出を見ても,胆管損傷よりも手術時肝臓を傷つけたことによる胆汁漏出の可能性が高いのではないかと考えて経過をみていたと認められるのであるから,被告人両名の経過観察は「再手術のタイミングを見計らいながら」行っていたものでないことは明らかであり,弁護人の上記主張はそもそも前提を欠くものである。
そして,医学文献においても,「胆道損傷の治療法は,術中に可能な限り根治的な修復術を行うのが原則である。」(弁7),「胆管損傷に対しては,なるべく早期に再手術を行い,症例に応じて胆管胆管吻合術あるいは胆管空腸吻合術などによって胆道再建を施行することが重要である。」(弁8)などとされているのであって,再建術のリスクを考慮して経過観察を行うことが医療における一般的な考え方であるとも認められず,弁護人の主張は理由がない。
ウ なお,弁護人の主張には,本件手術時に腹腔内に留置したドレーンから胆汁が十分誘導排出されていたことを前提とするものもみられる。しかしながら,本件手術後のEは,客観的には総肝管を全周的に切離されていたのであり,後記のとおり,それを原因として胆汁性腹膜炎を発症していることが認められること,K医師らの証言によれば,右肝床部に留置されたドレーンは,Eの体動その他の原因により,その位置が胆管の位置よりも上方にあって不適切な状態にあったと認められることからすれば,総肝管切離により漏出した胆汁が右肝床部ドレーンから十分誘導排出されていたとは到底認めることができない。
エ もっとも,被告人Dは,本件手術の翌日である12月22日の夕刻から休暇を取って沖縄旅行に出かけ,次にC病院に出勤したのは同月26日の朝であったので,この事情を注意義務違反との関係でどう考えるべきかが問題となる。
そこで,検討するに,被告人Dの検察官調書(乙17,18)によれば,被告人Dは,同月22日午前中の回診時に,Eの右肝床部ドレーンから目測約300tの胆汁混じりの液が排出されていることに気付き,その排出液のうち少なくとも3分の1(約100t)が胆汁ではないかと推測したことが認められる。なお,弁護人は,同検察官調書には特信性がないと主張しているが,被告人Dは,当公判廷においては,上記の排出液に関する認識についてあいまいな供述に終始している一方,検察庁では不本意な取調べを受けたことはなく,本当のことをちゃんと話そうという気持ちで臨み,検事からも,違うところがあったらどんどん言って下さいと言われたなどと供述している(第7回公判)のであるから,同検察官調書における供述は,公判供述に比べて信用性が高いというべきである。
そうすると,前記の本件手術の経緯からすれば,被告人Dとしても,同月22日午前の時点で術中胆管損傷を疑い,ERCP検査,血液生化学検査,CTスキャン検査等の諸検査を行うべきであったのであり,少なくとも術中胆管損傷の可能性を考えて,被告人Cに対し,その旨伝え,適切な引継ぎをするとともに,旅行中においても,被告人Cと適宜連絡を取り合うなどして,主治医として被告人CとともにEの治療に当たるべきであったと認めるのが相当である。
しかるに,被告人Dの検察官調書によれば,被告人Dは,同月22日午前に胆汁の漏出を発見した際に,右肝床部の胆嚢の剥離面から胆汁が漏出しているのであろうと軽く考えて,被告人Cに何の引継ぎもせずに同日夕刻C病院を離れ,旅行中は被告人Cとは全く連絡を取り合っていないことが認められるのであるから,被告人Dにおいても,同月22日ないし23日の時点において,被告人CとともにEに対して適切な処置を行うべき注意義務に違反したものと認められる。
6 被告人両名の過失のまとめ
以上の検討の結果を総合すると,被告人両名は,@本件手術を実施するに際し,Eの胆嚢周辺部が高度に炎症を起こして癒着していたことなどにより,胆道系の解剖を目視で十分確認できないまま胆嚢の摘出を行おうとしていたのであるから,胆管損傷を起こした場合でもそれを開腹手術中に発見して適切な処置を行うことができるよう,術中胆道造影を行って損傷の有無を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,胆嚢摘出作業中に誤って総肝管及び総胆管を切離し,腹腔内に胆汁が漏出して胆汁性腹膜炎を発症させる危険性を生じさせたのに,術中胆道造影による胆管損傷の有無の確認を行わず,上記各切離に気付かないまま閉腹して手術を終える過失を犯し,A引き続き共同してEの本件手術後の管理を行うに当たり,同月22日ないし23日,Eの右肝床部に留置したドレーンから胆汁が漏出していたことを認識したのであるから,本件手術は胆道系の解剖を目視で確認できないまま胆嚢を摘出したという経過も踏まえて,胆管損傷の可能性があり胆汁性腹膜炎を発症させる危険性があることを考慮して,直ちにERCP検査,血液生化学検査,CTスキャン検査等の諸検査を実施して胆管損傷の有無及びその原因の究明に努めるとともに,胆汁の腹腔内への漏出を停止させて胆汁性腹膜炎の発症及び進行を阻止するために開腹手術を実施するなど適切な処置を行うべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,胆汁は上記ドレーンからすべて体外に排出されているものと軽信し,胆管損傷の有無等を感知するためのERCP検査等の諸検査及びこれに引き続く開腹手術等の適切な処置を行わないまま,漫然と経過観察を継続した過失を犯したものと認めることができる。
7 被告人両名の上記各過失行為とEの死亡との間の因果関係について
(1) Eの司法解剖を行ったM医師は,Eの死因について,総胆管損傷による胆汁性腹膜炎に起因する腸閉塞から,敗血症に至り,最終的に多臓器不全に陥って,死亡したものとしている(なお,同医師のいう「総胆管損傷」とは,本件においては総肝管の損傷をも含む趣旨と理解することができる。)。また,F病院のJ医師及びK医師は,これとほぼ同旨の供述をしており,N医師も,胆汁性腹膜炎によって敗血症を併発し,その結果多臓器不全を起こして亡くなったとしており,敗血症の発症時期を異にはするものの,Eの死亡に至る機序としては,上記M医師の見解とほぼ同旨ということができる。
これに対し,O医師は,Eは本件手術により胆汁性腹膜炎を発症する一方,サーズ(全身性炎症反応症候群)の状態にもあったところ,F病院における手術による侵襲により,セカンドアタックセオリーと呼ばれる,重要臓器に集まっていた白血球が人体の組織を攻撃し,臓器不全を起こすという現象を起こし,死亡したものと思われる旨,上記各医師の見解と異なるかにみえる証言をしている。しかしながら,O医師は,F病院が肝管空腸吻合術の手術を行ったことはEの症例の場合誠に適切であったとも証言しているのであって,その証言が被告人両名の上記各過失行為とEの死亡との間の因果関係を否定する趣旨のものとはいえない。また,N医師及びO医師の各証言を比較すると,両医師の言葉の定義には違いがあることが認められるが,N医師のいう敗血症とO医師のいうサーズとは,Eの多臓器不全を起こす前段階を指しているという意味においては共通しているということもできるのであって,両医師の見解は実質的にはかなり似通っているものと認められる。
また,既に検討したとおり,被告人両名が本件手術による胆嚢摘出後閉腹前に術中胆道造影をするか,あるいは12月22日ないし23日の胆汁漏出に気付いた際に適切な処置を行ってさえいれば,胆汁漏出を食い止めるかあるいは最小限に止めることができたのであるから,Eが胆汁性腹膜炎を発症させることはなく,仮に発症してもその進行を早期に防止することができたことが明らかである。
以上によれば,Eは,本件手術後の被告人両名の前記各過失行為によって胆汁性腹膜炎を起こし,これに起因する多臓器不全により死亡するに至ったものと認められる。
これに対し,弁護人は,Eの死因について述べる各医師の見解には整合性がない上,検察官は,その中でどの見解を採るのかを明確にしていないから,この点は訴因の特定として不十分であると主張する。
しかしながら,人体の構造の複雑性等からその死に至る機序を詳細に認定するには困難が伴うのが一般的であることなどを考慮すると,検察官の主張が訴因の特定として不十分であるとは到底いえない上,上記のとおり,各医師の見解は,Eが胆管損傷によって胆汁性腹膜炎を発症させ,それに起因する多臓器不全により死亡したという限度においては一致するものであるから,弁護人の主張は理由がない。
(2) 次に,弁護人は前記第1の2のとおり主張して,被告人両名の医療行為とEの死亡との間の因果関係を争っているので,以下検討する。
ア Eが12月28日の時点において汎発性の胆汁性腹膜炎にはなっていなかったという弁護人の主張について
(ア) まず,N医師は,発熱,白血球数,CRP値及び胆汁漏出が続いていることからすれば,Eは12月25日には汎発性の胆汁性腹膜炎になっていたといえる旨証言している。また,O医師は,12月25日の前記検査データによれば,Eは汎発性の胆汁性腹膜炎になっていた疑いがあり,遅くとも同月27日か28日に被告人Cが下大静脈の出血部位に留置されたペンローズドレーンから胆汁を発見した時点においては,Eは汎発性の胆汁性腹膜炎になっていたものと推察される旨証言している。そして,F病院のJ医師及びK医師は,いずれも12月28日にF病院に転院した後の診察において,Eの症状を胆汁性腹膜炎と診断し,翌29日に開腹手術を行った際,Eの腹腔内には胆汁が広がっていた旨証言しており,上記N医師及びO医師の各証言に沿う内容になっている。
以上によれば,Eは,遅くとも12月28日の時点においては,汎発性の胆汁性腹膜炎になっていたものと強く推認することができる。
(イ) これに対し,弁護人は,Eには12月28日の時点で,発熱,白血球増多,CRP値の高値化等はみられたが,その他の汎発性腹膜炎を疑わせる所見,特に腹膜刺激症状がなかったことからすれば,Eは汎発性腹膜炎を発症していなかったと主張し,被告人両名も,公判廷において,Eには本件手術後転院時まで腹膜刺激症状の所見が全く認められなかったと供述している。
そこで,検討するに,C病院の診療・看護記録(弁5)には腹膜刺激症状についての記載が一切ないこと,O医師が腹膜刺激症状のようなものについては,あればある,なければないとカルテに記載するのが原則である旨証言していること,被告人両名の各検察官調書においても,板状硬についての記載こそみられるものの,反跳痛,筋性防御等の腹膜刺激症状一般についての記載が全くないこと,以上の事実が認められる。これらの事実に,汎発性の胆汁性腹膜炎に罹患していた場合には,腹膜刺激症状がみられるのが一般的であることを併せ考えると,被告人両名の,Eについて適宜腹膜刺激症状の有無を確認したがカルテには記載しなかった旨の各公判供述は信用することができず,むしろ,関係証拠を総合すれば,被告人両名は,右肝床部ドレーンから胆汁が排出されているのを認めても,胆嚢剥離に伴う肝床部からの胆汁漏出又は閉塞性黄疸を疑い,術中の胆管損傷など念頭に置かなかったため,腹膜刺激症状についての確認を怠ったものと強く推認することができるというべきである。
(ウ) また,Eの発熱やCRP値等について汎発性腹膜炎をうかがわせる程の数値ではないとする被告人両名の公判供述も,上記N医師及びO医師の各証言に反する内容であり,両医師の証言に前記のとおり高い信用性が認められることからすれば,到底これを採用することはできない。
(エ) さらに,弁護人は,F病院の入院診療録及び術中看護記録によれば,同病院のEに対する当初の診断名は胆汁瘻となっていて,汎発性腹膜炎とはなっていないこと,手術後のムンテラ(家族への病状説明)においても,胆汁性腹膜炎についての説明は一切なく,胆汁性腹膜炎という言葉がカルテ上初めて出てくるのは平成13年1月5日のEの父親へのムンテラの際であることからすれば,J医師及びK医師の上記証言は正確性を欠いていると主張する。しかしながら,J医師の証言によれば,胆汁瘻というのは,手術後に何らかの原因で胆汁が漏れ出したという意味であるというのであって,胆汁性腹膜炎であったという上記証言と何ら矛盾するものではない上,F病院における外来診療録(弁1・8丁)及び入院診療録(弁3・106丁)には,12月29日の手術時の診断名として「胆汁性腹膜炎」,説明として「胆汁性腹膜炎と腸の強固な癒着が腹腔内全体にみられた」と記載されているのであるから,弁護人の主張は全く理由がない。
(オ) また,弁護人は,12月28日にEが汎発性の胆汁性腹膜炎になっていなかった根拠として,@12月29日のF病院の手術の際に切除されたメッケル憩室に関する病理組織検査報告書(甲49)に,炎症の有無程度についての記載がないことからすると,メッケル憩室にはさしたる炎症はなかったと考えるべきであり,汎発性の腹膜炎であるとの診断とは矛盾すること,A上記手術後,F病院においては,汎発性の胆汁性腹膜炎の場合にドレーンを留置すべき,左横隔膜下及びダグラス窩にドレーンを留置していないこと,BC病院からF病院にEを搬送した消防署に対する照会結果(弁29)によっても,転院する際のEには汎発性腹膜炎の症状は認められないことなどを指摘している。
しかしながら,@の点については,上記病理組織検査報告書(甲49)及びJ医師に対する電話聴取書(甲50)によれば,メッケル憩室にどの程度の炎症があったかは明らかでないのであって,弁護人の主張のように即断するのは相当とはいえない。
また,Aの点については,確かに,医学文献においては,腹膜炎の場合,ドレナージを行う場所としては,「左右の横隔膜下,モリソン窩(ウィンスロー孔,右肝下面),ダグラス窩が最も重要である」(弁32)とされているのに,F病院においては,肝下面と右横隔膜下にしかドレーンを入れていないことが認められるが,上記文献には「消化管吻合…を行った場合には,その部位を中心に留置する。」,「多数のドレーンを入れるか,必要最小限とするかは,腹腔内汚染の程度と種類,外科医の考え方や経験による。」ともされているのであり,どこにドレーンを留置するかは医師の裁量の範囲内であると推認されるから,ダグラス窩等にドレーンが留置されていなかったからといって,F病院で汎発性腹膜炎と診断していなかったことの証左にはならない。
さらに,Bの点については,上記照会結果(弁29)によれば,救急車のC病院到着時におけるEの呼吸数は1分間当たり22回,脈拍数は1分間当たり94回,F病院到着時におけるEの呼吸数は1分間当たり18回,脈拍は1分間当たり94回であることが認められ,この点に関する被告人Cの公判供述をも併せ考慮すると,いずれも正常ないしそれを多少上回る程度の数値といえるが,12月27日及び28日の前記各検査データ等に照らすと,上記各時点における呼吸数及び脈拍数のみをもって直ちにEが汎発性腹膜炎になっていなかったことの証左になるとは到底いえない。
(カ) 以上のとおり,弁護人の主張する点を検討しても,上記N,O,J及びK各医師の証言を揺るがす事情は認められず,上記各証言によれば,Eが遅くとも12月28日の時点において,汎発性の胆汁性腹膜炎になっていたと認められる。
イ 胆汁性腹膜炎は致死性の病気ではないとの弁護人の主張について
(ア) 弁護人は,胆汁性腹膜炎はそれ自体直ちに死に結び付くものではなく,救命可能であって,そこから感染性の腹膜炎を発症し,敗血症を起こして初めて死に結び付くものであるから,被告人両名の行為によってEに胆汁性腹膜炎を発症させたとしても,そのこととEの死亡との間には因果関係がないと主張する。
(イ) そこで,検討するに,まず,N医師は,胆汁性腹膜炎は極めて重篤な合併症であって,そのまま放っておくと死亡率が極めて高い,胆汁性腹膜炎になると患者の状態がどんどん短時間で悪くなり,2,3日放置するだけで敗血症になり,それが原因で死亡してしまうと証言している。
また,医学文献(弁13ないし15)によれば,胆汁性腹膜炎による死亡率は,確かに20%とされているが,これは汎発性の胆汁性腹膜炎のみならず限局性の胆汁性腹膜炎を含めた数字であることがうかがわれるのみならず,「(救命率の向上は,)種々の診断機器の開発や診断技術の向上による早期診断に加えて,抗生剤,その他の全身管理,治療技術の進歩に寄与するところが大きいと思われる。」(弁15)とされているのであって,汎発性の胆汁性腹膜炎に限定すれば死亡率は相当に高く,早期に治療することによって治癒率が上がっているものであると推認される。また,医学文献において,「本症(胆汁性腹膜炎)は現在でもなお診断や治療の遅れが予後不良となる疾患であることに留意すべきである。」(弁15),「胆汁性腹膜炎は胆石症の合併症の中でも最も重篤なものの1つである。診断や治療の遅れは予後不良に直結する。」(弁36)と強調されていることも,上記推認を裏付けるものである。
以上によれば,汎発性の胆汁性腹膜炎は,死の結果発生の危険性が高い重篤な病であることは明らかというべきである。
(ウ) なお,弁護人は,医学文献(弁25)において,胆汁性腹膜炎を来している9症例のうち死亡したのは1例に過ぎず,手術までの期間が7ないし8日であっても生存している例があることを指摘しているが,上記症例は壊死性胆嚢炎による胆汁性腹膜炎の症例で,しかも,うち5例は胆汁穿孔が認められない漏出性の胆汁性腹膜炎というのであり,総肝管を全周切離してしまっている本件事例と比較するのは相当ではないというべきである。
ウ Eは転院先のF病院における不適切な医療行為により死亡したものであるという弁護人の主張について
(ア) 弁護人は,Eは,F病院への転院後,同病院における術中・術後の輸液管理の不適切さによる腎不全・呼吸不全の多臓器不全の発生と,腸閉塞に対する処置の甘さ等が重なった結果,敗血症となり,死に至ったと主張する。
(イ) そこで,以下,転院後のF病院における医療行為に問題があったか否かについて,検討する。
A 輸液について
a 弁護人は,平成13年1月1日ころに発症した腎不全,同月3日ころに発症した肺水腫は,胆汁瘻に起因するというよりも,F病院における12月29日の手術中あるいは術後の過剰輸液等の輸液管理の失敗によると考えるのが合理的であると主張している。
b この点,F病院の入院診療録(弁4)によれば,輸液量に関しては,確認できるだけで,平成12年12月29日午前5時から翌30日午前5時までの手術中を含む輸液量は7750t(なお,同時間帯の不感蒸泄を除く排泄量は1644t。以下,輸液量に関する括弧内の数字は同旨。),同月30日午前5時から午後11時までは2784t(2335t),同月31日午前5時から翌平成13年1月1日午前5時までは4472t(3200t),同月2日午前5時から同日午後11時までは2701t(4826t),同月3日午前5時から翌4日午前5時までは6710t(5476t)であり,同月4日午前5時から午前10時までは4635t(574t)であったと認められる。また,CVP値(中心静脈圧)については,F病院での手術後,徐々に上昇し,平成12年12月31日午後3時50分に30p(以下,CVP値の表記についてはpの表記を省略する。),同日午後8時に15,平成13年1月1日午前8時から午後2時25分の間に30,同月2日深夜に40となったが,その後は,20以下に下がり,同月4日ころまで推移したことが認められる。
c この点,O医師は,CVP値が高すぎるので,輸液が少し過剰であったのではないかと推察される,12月29日の手術中にハイポボレミア(循環血液量減少)と判断して,大量に輸液を入れたため,腎不全や呼吸不全を招いたのではないかと推察される旨供述している。しかしながら,O医師は,他方において,F病院の治療は十分やったと思うので,術後管理が正しかったか否かについては僕の方からは余りいえないなどとも供述しているのであって,弁護人の主張を必ずしも支持しているものではないと解される。
d これに対し,F病院で輸液管理を担当していたK医師は,次のように証言している。
すなわち,Eは,MRSAによる感染症になっていたが,脱水状態になって全身のむくみが始まり,血管中の血液の量が極端に減ってきたため,腎臓の機能が低下して小水の出が悪くなり,腎不全が完全にできあがってしまうおそれがあったので,どうしても大量の輸液が必要となった,もっとも,大量の輸液により,後にリフィリング(水が血管に戻ってくる状態)による肺水腫から心不全になる危惧もあったので,CVP値が上がってきたところを見計らって,鬱血性の心不全の防止のためにEに人工呼吸器を付けて呼吸を安定させた,というものである。
また,同じくF病院のJ医師も,以下のように供述している。
すなわち,Fにおける12月29日の手術の際,手術後半に頻脈となり,その原因は循環血液量・水分量の低下と考えられたため,手術中の輸液量が多くなった,その後,平成13年1月4日には,リフィリングが起こった可能性があるが,尿量等Eの状態は十分観察していたと思う,CVP値は一時的に30になったことが2度あるようだが,その間に15に下がったこともあり,利尿剤等を使ってなるべく正常値に近づける努力はしていた,というものである。
e また,N医師は,この点について,以下のように供述している。
すなわち,確かに平成13年1月2日にCVP値が40に上がっており,その前後に6000tから7000t近くの輸液が行われているが,体外に出した胃液や尿量はこれを補わねばならず,生命維持のための輸液を患者の体重から計算すると,輸液量は決して多すぎる量ではない,肺水腫対策としては人工呼吸器で呼気圧をかけることが考慮されており,主治医は意識的に輸液を行っているから,問題はない,CVP値は経時的に観察すべきもので,正常値がいくらかということはほとんど意味がない,というものである。
f 以上によると,F病院における12月29日の手術中あるいは術後の輸液管理は,医師としての裁量の範囲内で行われた医療行為というほかはなく,何らかの不適切な点があったと認めることはできない。
B イレウス(腸閉塞)について
a 弁護人は,F病院においては,当初から腸瘻造設等の麻痺性腸閉塞に対する措置を講ずるべきであったのに,これを怠ったものであり,また,イレウス管挿入の時期やイレウス解除術の適否等の麻痺性腸閉塞に対する対処が不適切であったために,麻痺性腸閉塞の発症やその重篤化を招いてしまったものであると主張する。
b しかしながら,N医師とEの遺体の解剖に当たったM医師は,共にF病院における治療には問題がなかったと証言し,J医師も,F病院における1回目の手術の時点で,その後に,どのような形で腹腔内で癒着が進行して,腸のどの部分で腸閉塞が起こるかということを予測することは不可能だったと証言しており,これらの判断を覆すに足りるような証拠は認められない。
c そうすると,F病院における医療行為が不適切であり,これを適切に行っていれば腸閉塞の発症等が回避できたなどとは認められない。
(ウ) 以上のとおり,F病院における医療行為について,弁護人指摘のような不適切な点は認められない。
(3) 因果関係のまとめ
以上検討のとおり,被告人両名の前記各過失行為により,Eに胆汁性腹膜炎を発症させ,これに起因する多臓器不全により死亡させたことは優に認定することができ,その間に介在するF病院の医療行為は,その内容に不適切な点が認められないことからすると,上記因果関係の認定を左右するものとは認められない。
8 弁護人のその他の主な主張について
(1) 弁護人は,刑事罰の対象とされるべき手技ミスは,落ち度として余りにも重大な初歩的なミスに限定されるべきであり,本件手術における胆管損傷は,民事責任の原因となることは別として,刑事罰の対象となるようなものではないと主張する。
しかしながら,当裁判所は,被告人両名が胆管損傷後に術中胆道造影を行わなかった措置及び術後の管理を怠った措置を注意義務違反の行為であると認定するものであって,胆管損傷の手技ミス自体を過失として認定するものではないから,弁護人の主張はその前提を欠いており,理由がない。
(2) また,弁護人は,検察官による平成15年6月30日付け書面による訴因変更請求は,その時的限界を逸脱した違法なものであり,これを許可した裁判所の決定も違法であると主張する。
しかしながら,検察官による訴因変更請求は,原則として公判のどの段階においても可能であり,例外があるとしても,実際の訴訟の経過等を踏まえて慎重に検討されるべきものである。そこで,この点についてみると,本件訴因変更請求は被告人両名の被告人質問等の証拠調べが終了した後になされたものではあるが,それまでの証人尋問等の結果を踏まえてなされたものとうかがわれる上,訴因変更後に被告人両名の被告人質問が再度施行されて(被告人Dについて第12,13回,被告人Cについて第13,14回),弁護側に反論の機会が十分与えられ,被告人両名に不意打ちを与え,防御上の不利益を及ぼすものではなかったこと,本件訴訟は医療という高度に専門的な分野における業務上の過失を審理の対象としたものであって,被告人両名はその分野に通じた専門家である医師である一方で,専門的知識が十分とまではいえない検察官が医師証人の証言等それまでの証拠調べの結果を踏まえて訴因変更を行うことには無理からぬ点があること,本件においては患者であったEが亡くなっており,生じた結果が重大であること,審理期間をみても本件訴因変更が迅速な裁判の要請に反するものとはいえないことなどからすれば,本件訴因変更に何ら違法不当とされるべき点はないというべきであるから,弁護人の主張は理由がない。
第4 結論
以上のとおり,被告人両名の前記各過失行為によって,Eは死亡したものと認められる。
よって,弁護人の被告人両名は無罪であるとの主張は理由がない。
(法令の適用)
被告人両名の判示各所為は,いずれも刑法60条,平成13年法律第138号による改正前の同法211条前段に該当するところ,被告人両名について,いずれも所定刑中禁錮刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人両名をそれぞれ禁錮1年に処し,被告人両名に対し,いずれも情状により,刑法25条1項を適用して,この裁判が確定した日から3年間それぞれその刑の執行を猶予し,訴訟費用のうち証人J,同K,同M及び同Oに支給した分は刑訴法181条1項本文,182条によりこれを被告人両名に連帯して負担させることとする。
(量刑の理由)
本件は,病院の外科医師である被告人両名が,胆嚢摘出術を行い,その後の術後管理を行うに当たり,判示のとおりの業務上の注意義務に違反する過失行為を行ったことにより,被害者を転院先の病院で死亡させたという業務上過失致死の事案である。
被告人両名は,胆嚢摘出術を行うに当たり,被告人Cが前立ホルスタント,被告人Dが執刀医として共同して実施したものであるが,被害者の胆嚢周辺部は高度の炎症・癒着により総肝管,胆嚢管,総胆管等の胆道系の解剖を目視で十分確認できないまま胆嚢底部から頸部に向けての漿膜下の剥離作業を行い,その際に総肝管を切離してしまい,また胆嚢管の結紮・切離を行おうとして誤って総胆管をも結紮・切離してしまい,腹腔内に胆汁が漏出して胆汁性腹膜炎を発症させる危険性を生じさせたものであるが,その際手術時の状況から胆管損傷の可能性を考えて術中胆道造影を行っていれば,上記損傷を開腹手術中に発見して適切な処置を行うことができたはずであるのに,胆嚢摘出術は成功したものと過信し,上記各切離に気付かないまま閉腹して手術を終えたものである。そして,引き続き被害者の術後管理を行うに当たっても,手術翌日の同月22日ないし翌々日の23日,Eの右肝床部に留置したドレーンから明らかに胆嚢摘出術後に見られるのとは異なる胆汁漏出が見られたことを認識した際,直ちにERCP検査等の諸検査を実施していれば,胆管損傷の有無等が分かり,開腹手術を行うなどして胆汁の腹腔内への漏出を停止させ,胆汁性腹膜炎の発症及び進行を阻止することができたはずであるのに,胆汁は上記ドレーンからすべて体外に排出されているものと軽信し,諸検査や適切な処置を行わないまま,漫然と経過観察を継続し,その結果,被害者を死に至らしめたものである。被告人両名が上記の注意義務についていずれか1つでも適切に対処していれば,被害者の死亡という最悪の結果は回避できたはずであるのに,自分たちの技量を過信して上記各注意義務を全く尽くそうとしなかった被告人両名の過失の程度は重大であり,人の生命身体を預かる医師としてあるまじき診療態度であったというべきである。
そして,被告人両名の上記各過失行為により,被害者は,胆汁性腹膜炎を発症し,これに起因する多臓器不全により死亡しているのであり,本件の結果は取り返しの付かない重大なものである。被害者は,当時36歳で,ビデオ制作会社の技術主任として働き盛りであり,また,平成12年1月には婚姻するなど充実した日々を送っていたところ,本来は生命に危険が及ぶような病ではない胆石症に罹患していたに過ぎず,簡単な手術で数日後には退院できるなどと言われていたのに,被告人両名の過失により突如人生の半ばで命を落とさざるを得なかったものであり,その無念さは察するに余りある。
被害者の妻及び両親は,本件手術後,日に日に症状が悪化していく被害者の姿を見かねてF病院への転院を希望したところ,同病院において,被告人両名の本件手術により胆管が損傷されて胆汁が漏出していたことなどを知らされ,その後も懸命の看護にもかかわらず,ついに被害者を失う結果となったもので,その悲嘆は深く,精神的苦痛は甚大である。被害者の妻が,被害者の死後,救急車のサイレンの音に恐怖を感じるようになった,ドラマ等の病院のシーンが見られない,死について過剰反応してしまう,夜中に何度も目を覚ましてしまう,苦しくて胸が押しつぶされるようになってしまうなどと訴え,また,被害者の父親も,被害者の死後全く食欲もなくなり,6キロも痩せた,夜も眠れないなどと訴え,共に被告人両名の医師免許を剥奪してほしいなどと述べていることにも十分理由があるというべきである。
しかるに,被告人両名は,胆管損傷が生じた原因は分からない,転院時に至るまで被害者には胆汁性腹膜炎の症状は現れておらず,汎発性腹膜炎には罹患していなかったなどとして,自分たちの過失を否定するのみならず,被害者の死亡は転院先のF病院の治療に問題があったからで,被害者が被告人両名の治療を受け続けていれば救命できたなどと主張し続けているのであり,本件に対する真摯な反省の態度は全くうかがわれない。
以上によれば,被告人両名の刑事責任は重いというべきである。
しかしながら,他方において,被告人両名は,総肝管や総胆管等を誤って切離した事実は認めていること,被害者の両親との民事訴訟において,被害者の妻を利害関係人とする和解が成立し,解決金名目で8000万円を支払済みであること,被告人両名にはいずれも前科がなく,これまで医師として長年診療を続けてきたことなど,被告人両名のために有利に斟酌すべき事情もまた認められるので,これらの諸事情を総合考慮して,被告人両名に対しては,主文のとおり,それぞれ禁錮1年に処した上で,今回に限り,いずれもその刑の執行を猶予するのが相当と判断した。
(求刑・被告人両名につき,いずれも禁錮1年)
平成16年5月14日
東京地方裁判所刑事第2部
裁判長裁判官 杉山愼治
裁判官 田岡薫征
裁判官横山泰造は,転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 杉山愼治